ポーグス乱れ撃ち2 ~2005大阪マザーホールのライブの記録
一回だけライブを見に行っていたのでその記録。
1996年に解散したポーグスは2000年代初頭に再結成し
全盛期のメンバー8名全員がそろって世界各国で
ライブを行った。
2005年には来日し、東京と大阪2か所2日間のライブに加え
この年のフジロック・フェスティバルに参加したことが
大きな話題を呼んだ。
というわけで
7/27の大阪マザーホールに聴きに行った記録。
私はぜんぜんライブ通じゃない人種なんだけど、
遅れてきたファンとしてはどうしても生で観に行きたくなって腰をあげたわけだ。
マザーホールはけっこう大きなホールだったがオールスタンディングの
会場には人がみっしりひしめいていた。
舞台の前方には英国パンクモードの血の気の多そうな男の子が塊になって
うごめいていたが、後方にはビジネススーツの壮年男女も多くいて
客層は広かった。
メンバーがステージに立ち、最後に現れるのがヴォーカルでフロントマン
(目立つ奴ってこと)のシェイン。
この日も片手に煙草片手に酒。ヨレヨレと出てきて
煙草持ってる方の手でよりかかるようにマイクを持ち、やっと立つ。
アル中の教科書みたいなたたずまいだ。
かつてはツアーの過酷さの憂さを晴らす意味もあって
バンドメンバー全員が飲みに飲みまくる
→シェイン脱退
→他メンバーも多くがアルコール中毒に悩む中活動を続ける
→体調不良等からメンバーが次々と脱退
→解散
という流れもあったバンドだから、正直ちょっと不安な気持ちもあった。
「どんな形でもライブで観れたらいい」
というファン心理と
「ぼろぼろの遺跡に過去の名残りを見るみたいならやっぱりちょっとしんどいなぁ」
いう気持ちがぐるぐるしていたが、結論を言うとえらい良いライブでした。
当日のセットリストはこんな感じ。
(ここで調べた。便利なサイトがあるもんだ)
曲をご存知の方はリスト見るとムードがわかるかも
Setlist
- 1.Streams of Whiskey
- 2.If I Should Fall From Grace With God
- 3.Boys From the County Hell
- 4.The Broad Majestic Shannon
- 5.Young Ned of the Hill
- 6.Turkish Song of the Damned
- 7.A Rainy Night in Soho
- 8.Tuesday Morning
- 9.White City
- 10.A Pair of Brown Eyes
- 11.Repeal of the Licensing Laws
- 12.The Old Main Drag
- 13.Thousands Are Sailing
- 14.The Body of an American
- 15.Lullaby of London
- 16.Dirty Old Town
- (Ewan MacColl cover)
- 17.Bottle of Smoke
- 18.The Sick Bed of Cuchulainn
- Encore:
- 19.Star of the County Down
- ([traditional] cover)
- 20.The Irish Rover
- ([traditional] cover)
- 21.Sally MacLennane
- 22.Fiesta
狭いステージ(いや、狭くないけどメンバーが多いから狭く見える)に
8人の男がぞろぞろいてきっちりタイトに、余裕もあるプレイを披露する。
そしてシェインの『何言ってるかわかんないけど良いヴォーカル』がそこにあった。
ベロベロ+強い訛りで英語ネイティブでも発語が聞き取れないのに、
歌わんとするところがどうしてかグッと胸にくる。
(事前に素晴らしい詞を知って来れるからだけど。音楽の強みだな)
疾走感のある曲は若い時のエネルギーには及ばず…という場面もあったが、
過去をふりかえるような内容の歌ではこの日の方が素晴らしく
(このひと才能に底がないのか)
と驚いてステージを観ていた。
シェインはライブ中に何度も休憩に入るけれど、その時は持ち歌のあるメンバー3名が
それぞれ聴かせてくれる。
3名ともバンドにとってけっこう大事なヒットナンバーを持っている。
謎の層の厚さだなこういうところ。
シェインの話をおいて、ちょっとこの辺り細かく紹介してみる
スパイダー・ステイシー(リーダー/ティン・ホイッスル担当)は
ロンドンの気のいい不良の兄ちゃんがそのまま年取った感じのキャラで、
持ち歌"Tuesday Morning"(邦題「チューズデイ・モーニング」)は
詞もリズムもシンプルなパンクナンバー。
(ライブの話とそれるけど)
スパイダーは2005年リリースのアルティミット・コレクションでけっこう長くバンド史を書いてくれているのだが、
これが、
なんというか、
いい感じに冗長で下手だけど愛嬌たっぷりの文章だ。
ハートの熱さとポーグス愛だけは誰にも負けん的なキャラクターがよく出ていて面白い。
メンバー全員体調不良、シェイン脱退の中バンドをひっぱり続けるのはこういうメンタルの人なのだろう。
The Pogues - Tuesday Morning (HQ official video) (1993)
オフィシャルより
アルティミット・コレクションはamazon musicで聞き放題だけど、スパイダーのライナー・ノートを読みたい人はアルバムを買うことになる。
あの、このコレクションは歌詞の訳も注釈親切、定評のある翻訳なので興味があったら買いでございますよ。
メンバー髄一のベテラン、テリー・ウッズ(マンドラ他担当。伝統楽器いろいろ)の
"Young Ned of the Hill"(邦題『ネッドの丘』)は
伝統民謡の"Ned of the Hill"の
ピッチを早く、とてもトラッドにやっている。
酒が飲める飲める飲めるぞー的な狂騒の次に
シギ鳴き渡る灰色の空とヒースの野の重い歴史がこつぜんと
現れるところがポーグスのらしいところ。
フィリップ・シェヴロン(ギター担当)の
"Thousands are Sailing"(邦題『セイリング~海を渡る幾千人』)は
アメリカへ移住するアイリッシュの歌で、彼の最高傑作という人が多い。そう思う。
「民族の命運」みたいなデカい主語を異様に隙の無い構成で5分弱の曲で描き切っていて、ファンの中でも人気の高い一曲だ。
アルバムではこの曲をシェインが歌っていてさすがに素晴らしいが、フィリップのvoはまた別の清冽な魅力がある。
アコーディオンでイントロが始まり、つっと前に出た時のちょっとプライドの高そうな佇まいと間奏の時のバンド全員でスイングするプレイがたいへん格好良かった。
たいそう小柄な人で大病をよくしたから年齢よりずいぶん年を取って見えた。
蛇足だけど、今回の渋谷のライブを扱ったどこかの記事で
『一番ベテランのフィリップがけっこう元気なのにシェインはヨレヨレ だいじょぶかー』
みたいな書き方をされていて
「違うよシェインとフィリップが一番若いの! 同い年だけどフィリップの方がちょっと下だよ…!」と心の中で思った。
シェインの酔っ払いぶりを面白く書くためのレトリックなんだろうけどフィリップとんだとばっちりじゃねーか!
…たぶんテリー(中心メンバーよりおよそ10歳上)とフィリップのプロフィールがごちゃごちゃになったんだな。
(更にライブのことじゃないけど)
シェインの足跡を追うドキュメンタリー・フィルムでフィリップがナレーター的な役回りだったが抑制が効いてユーモアもある話しぶりで頭の回転の早い人だなという印象だった。
↓フィルムはこのタイトルだった
DVD買ったら帯の「推薦の言葉」みたいなコーナーに甲本ヒロトが一筆寄せていた記憶がある(引っ越しで現品が手元になくなっちゃったから記憶頼みです)
フィリップはバンドの公式フォーラムに時々ひょっこり現れて短いコメントをしたり、
再結成後のバンドの水先案内人を自ら務めていた感じもあった。
ゆくゆくは年齢的に一番下のこの人がバンドのメンバーを見送り、
その振り返りをしていく立場になるのかな、と思っていたらメンバー中もっとも早く他界してしまった…
まあ湿っぽい話はよそう。
2005年の大阪で彼ら8人は客たちをおおいに沸かせていたのだ。
みんなの持ち歌が終わったら新しい酒もったシェインが戻って来る!
立ち方は危ういがちゃんと歌う! またフラッフラで引っ込む! でもまたヨレヨレに戻る!
というわけでライブはしっかりアンコール含め22曲。
最後は勢いと高揚感でラストの定番 Fiesta で大盛り上がりの中お別れ。
大御所の貫禄十二分のステージだった。
追記
ここからはいわゆる「自分語り」でございます。
当時の自分の状況を書く日記なのでポーグスの記事は無いです。
当時、家人が大阪に数か月出張していて月に数日こっちに帰ってくるという
状態だった。
子どもは上の子が4歳。下の子はまだこの世にいない。
そのころポーグス再結成の話をリアルタイムで知ることができて
「ぜひ観たい」
と意気込むものの小さい子の預け先がなく渋谷のライブは行きようがないなー
フェスに行くのはなお荷が重い…と家人と電話で話していたら
「夏休みだし大阪に来たら子どもは見ていよう
ポーグスのライブは俺は何度か見たからいいよ。1人で行ってきな」
という話になり、ありがたく急遽大阪行きを決めたのだった。
割といい話の中にいるじゃん14年前の私。
ぬいぐるみを抱いて新幹線に乗った息子がいま大学生で
翌年生まれた娘が中学生だ。
後になって知ったことだが、大阪マザーホールもこの年の秋に閉鎖されたということだ。
何もかも変わっていくので、今はただ当時の記録だけ置いておく。